「思いっきりやっていいんじゃない?」
銀行時代、「お前は見た目からしてももうちょっとやらかすタイプだと思ったけど意外に繊細で真面目だよなぁ。若いんだからもうちょっとやらかしたほうがいいぞ!」
とか言ってきた先輩、数人いたけど、あの古い組織を経験・知ってる人なら絶対にそんなことはありえないのをよくご存知のはず。
「お前もっと勢いもってなんか色々やらかしちゃうくらいの感じでやれよ!」とかいう反面、実際、報告/業務フローは、ザリスクヘッジ ofリスクヘッジ。
そりゃそうだ。お預かりしてるお客様の預金で成り立ってる商売、1円のミスだって許されない。
1日の終わりに窓口を閉めて、1円でも足りなかったらみんなでゴミ箱まで漁るってあれ、ガチです。
仮に100円玉がフロアに落っこちていたらみんな発狂します。
そのくらい、精密に、敏感にやらなければいけない業態だからそれはしょうがないことだ。
僕は中学校の時にいじめた経験もあるし、いじめられた経験もある、その頃から人が醸し出す雰囲気みたいなものにすごく敏感になった。
人付き合いが自分のテンションのパラメーターの9割くらいを占めるようになって、すごくすり減る時もあるし、すごくテンションが上がる時もある、割合は変わったものの、これは今でもそうだ。
ただ、心の中に消えない炎みたいなのは小さい時からずっとあって、自分でも不思議なくらい、自分からその炎が消えることはなかった。
その火が燃え続けるとどんどん炎が大きくなって、だんだんものすごいエネルギーになっていって、ドライブがかかりすぎて、時には変な方向にいきすぎてバッシングを受けたこともあったと思う。
でもいつしか、「出る杭は打たれる」日本の慣習にすっかり"打たれた"僕は、銀行に入社した時点で、「繊細に真面目にできるだけ嫌われない」で仕事をすることはできるようになってた。
それはいかに先輩との軋轢を減らして、みんなによく思われて、"やらかさないで"着実に仕事をこなしていく方法。
これはきっと大事なスキルだし、今後も役に立つと思う。でもいつしか自分を制御するのが当たり前になっていたし、またいかに"綺麗に"、できるだけ人に関するストレスを減らして、批判を恐れて、悪口を恐れて、仕事をこなす人間になっていたと思う。
でもそれは同時に自分の原動力とかドライブとか情熱を制限装置を使って抑える行為でもあって、突き抜けることはできない。
今いる環境は、全てが見抜かれる環境、見抜いてくれる環境、察してくれる環境、察せれない時は自分で言っていい環境。
そんな中また見透かされたように、
「もっとやっていんじゃないの?」
自分でも気づいてなかったくらい今のスタイルに慣れていて、淡々と仕事をこなしていた自分に気づかされて、過去の自分をふりかえさせられた。
このホームに、心を置いて、俺も「もっとやっていんじゃねーの?」って思えた。
銀行時代に言われた先輩の言葉と、最近言われた言葉は、羅列された言葉は同じでも意味や重さが全く違った。
責任を取れない発言と取れる発言。安心できない発言できる発言。
実際ベトナムきて、やりたいことしかやってないし、振られたことやるだけじゃなくてむしろ7割くらいの仕事は自分から手上げてやってるし、
ここなら「もっとやっていんじゃねーの?(やれるんじゃねーの)」って思えた。
ということで、やってみます。
自分のキャパシティも炎も、どこまで大きくなるか・・・見てみよう。